Palacio-Guell_B1_駐車場

パラウ・グエル──ガウディが描いた「名家」の建築

「なんだ、これだけか。」

秘書から手渡された膨大な請求書を見ても、グエルはあっさりと言った。
その反応に、秘書のピコ・イ・カンパナールは頭を抱えたという。

19世紀のカタルーニャは、産業革命と南米との貿易によって好景気に沸いていた。さらに、フランスのブドウ畑が壊滅し、カタルーニャのワイン産業が空前の活況を呈した「Febre d’Or(黄金熱)」も重なり、経済が大きく発展する時代を迎えていた。この時代に、とりわけ台頭したのが新興ブルジョワ階級である。なかでも、かつて「新大陸」と呼ばれた中南米で巨万の富を築き、故郷へ戻った富裕層は「インディアノス」と呼ばれた。

イルデフォンス・セルダの都市計画によって整備されたアシャンプラ地区(新市街)

イルデフォンス・セルダの都市計画によって整備されたアシャンプラ地区(新市街)

都市バルセロナもまた、大きく姿を変えつつあった。イルデフォンス・セルダの都市計画に基づいて「アシャンプラ地区(新市街)」が拡張され、格子状の街路が整備されていった。新たに富を得た人々は次々と建築家に設計を依頼し、成功の証として豪華な都市型住宅を建設した。1階を店舗、2階を主人一家が暮らす主階、それより上を賃貸住宅とする構成が典型的だった。こうした時代を代表する実業家の一人が、エウセビ・グエルである。
冒頭の逸話は、グエルの桁外れの財力を示すだけではない。彼が、自ら価値を認めた芸術や建築に対して、惜しみなく資金を投じた人物だったことを伝えている。グエルは音楽や文学、美術にも深い関心をもち、若い才能に自由な創作の機会を与えるパトロンでもあった。

alacio Guell 外観

グエル邸外観

そのグエルが、早くから才能を見いだした建築家が、若きアントニ・ガウディだった。
当時、新興ブルジョワの多くは、近代化の象徴であるアシャンプラ地区に新しい邸宅を建てた。しかし、グエルは新市街を選ばなかった。由緒ある名家の館は、歴史ある旧市街にこそふさわしい。そう考えたグエルは、父が所有していたランブラス通り沿いの邸宅に接続する形で、新たな館を構想した。
それがパラウ・グエル、すなわちグエル邸である。その設計を任されたのがガウディだった。
グエルが求めたのは、単に新しく豪華な住宅ではなかった。自らの家系の由緒と社会的地位を示す、都市の宮殿である。だからこそ、グエル邸には、当時の格式ある邸宅に求められた古典的な構成が採用された。

Palacio-Guell 外観 入口

グエル邸入口

個人的に残念に思うのは、団体旅行でバルセロナを訪れる多くの人が、グエル邸を外観だけ見て通り過ぎてしまうことだ。確かに、グエル邸はカサ・バトリョやカサ・ミラのような、後年のガウディ作品とは印象が異なる。曲線や装飾が建物全体に現れた作品を期待して訪れる人には、やや古風に映るかもしれない。しかし、その「古風さ」こそが、グエルの狙いだった。
当時のヨーロッパでは、格式ある邸宅には一定のデザインのルールがあった。建築では、こうした規範を「古典」と呼ぶ。ここでいう古典とは、建築における文法のようなものだ。
建物の正面は、大きく三層で構成されるのが基本である。1階は馬車の出入りを想定するため、天井が高く、石材も大きく重厚になる。2階の主階、すなわち主人一家が暮らす最も格式の高い階には、豪華で繊細な意匠が施される。3階以上は子ども部屋や使用人部屋であることが多く、外観も比較的質素になる。グエル邸も、このセオリーに従っている。
ただし、そこにはガウディらしい工夫が加えられている。
1階の入口は放物線を描き、主階の出窓は大きく張り出したギャラリーとなっている。ここからグエルは、ランブラス通りを広々と見渡すことができた。

大階段とステンドグラス

大階段とステンドグラス

主階のギャラリー

主階のギャラリー

そして、ガウディの真価が発揮されるのは内部空間である。
大階段を上がると、まず目に入るのが、ステンドグラスに彩られたカタルーニャの旗である。そこから人の歩く流れ、すなわち動線は、旋回しながら主階へと導かれる。
敷地自体は決して広くない。しかし、内部で視線と動線を巧みに回転させることで、長いアプローチが生み出されている。そのため、訪れる人は、実際の敷地以上に奥行きのある、巨大な宮殿の中を進んでいるような感覚を抱く。主階の中央へ進むと、高さ約15メートルの吹き抜け空間が現れる。ここがパラウ・グエルの中心部だ。当時はここで、ミサやワーグナーの音楽会、古代ギリシアの叙事詩の朗読会などが催され、社交の舞台となっていた。

メインのサロン天井

メインのサロン天井

天井を見上げると、放物線をもとに設計されたドームから光が降り注ぐ。パラウ・グエルは1886年から1890年にかけて建設された。ガウディがサグラダ・ファミリアに携わり始めたのは1883年である。そのため、この吹き抜け空間は、後のサグラダ・ファミリアへとつながる重要な習作ともいわれている。
しかも、この天井は二重構造になっている。これは、サグラダ・ファミリアの身廊、すなわち教会中央の大空間にも通じる考え方である。ガウディはこの構造について、「紳士が帽子をかぶり、日差しと熱を遮るのと同じ」と説明している。その比喩は、まるでグエル自身の姿を思わせて興味深い。

中央のサロンにつながるギャラリー

中央のサロンにつながるギャラリー

主階から上階へ進むと、婦人室、子ども部屋、そして使用人の屋根裏部屋へと続いていく。興味深いのは、どの部屋にいても、視線が奥へ奥へと抜けていくことだ。空間同士がゆるやかにつながり、別の部屋にいる人の気配まで感じ取ることができる。
とりわけ印象的なのは、主階から3階へ上がる階段である。ここからは、パラウ内部を広く見渡すことができる。この階段を主に使ったのはグエル本人だった。つまり彼は、邸宅全体を一望できる場所を、日常の動線の中に持っていたことになる。
屋根裏は、もともと女中たちの部屋だった。現在は展示空間として使われている。そこには、四連のステンドグラスが嵌め込まれている。放物線を描くその形は、サグラダ・ファミリアの降誕の正面を思わせる。色彩豊かなガラス片が集まり、一つの抽象的な図像をつくり上げている。

中央サロンからみた四連ステンドグラス

中央サロンからみた四連ステンドグラス

屋根裏部屋

屋根裏部屋(現在は展示がされている)

ガラスを砕き再構成するこの発想は、ガウディが後にタイル装飾で発展させていく技法を、ガラスに応用したものともいえる。吹き抜けへ向けて差し込む光は、空間にどこか聖堂のような雰囲気をもたらしている。
そして屋上には、多数の煙突と換気塔が並ぶ。ここでは、ガウディの造形力が、より自由に発揮されている。それぞれの煙突には、後年の作品へとつながる造形言語の萌芽を見て取ることができる。

屋上の採光塔

屋上の採光塔

トレンカディスで装飾された煙突群

トレンカディスで装飾された煙突群

言い換えれば、この屋上は、ガウディにとっての実験場でもあった。そして、その実験を可能にしたのがグエルの存在である。グエルが若い建築家の才能を信じ、惜しみなく資金を投じたからこそ、ガウディは大胆な挑戦を重ねることができた。パラウ・グエルは、ガウディ一人の才能から生まれた建築ではない。急速に発展する19世紀カタルーニャの経済、グエルの財力とパトロンとしての知性、そしてガウディの底知れぬデザイン力とが出会うことで誕生した建築なのである。そうした背景を知ると、パラウ・グエルの内部に足を踏み入れてみたくならないだろうか。

Picture of 山村 健(やまむら たけし)

山村 健(やまむら たけし)

1984年山形県生まれ。2006年早稲田大学理工学部建築学科卒業。06-07年バルセロナ建築大学留学。09年早稲田大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程修了。12年同大学院博士後期課程修了。12~15年ドミニク・ペロー・アルシテクチュール勤務。16年YSLA ArchitectsをNatalia Sanz Lavinaと共同主宰。20年より東京工芸大学准教授。26年よりカタルーニャ工科大学客員研究員。博士(建築学)、一級建築士。