ベリェスグアルド─最後の住宅

ベリェスグアルド─最後の住宅

ガウディの作品群のなかでも、ひときわ「ガウディらしくない」建築だ――。これが、この建物を初めて目にしたときの私の素直な感想だった。
たしかに、バルセロナ市内に建つカサ・バトリョやカサ・ミラなどと比べると、色彩は控えめで、造形もそれほど有機的ではない。しかも、市内中心部から少し離れた山の手に、ひっそりと佇んでいる。ところが、この住宅がガウディの最後の戸建て住宅であり、しかも弟子たちの協力をほとんど得ずに設計されたものだと知ると、どうだろうか。
この建物は「トーレ・ベリェスグアルド」と呼ばれている。

内部の城壁1

もともとこの土地は、ガウディがスペイン中部のアストルガで設計したアストルガ司教館の施主、ジョアン・バプティスタ・グラウ司教が所有していた。ところがグラウ司教は司教館の建設途中に亡くなり、それをきっかけとしてガウディも工事から離れることになる。
グラウ司教は遺言のなかで、この土地を売却し、その資金を故郷レウスの労働者の子どもたちのための学校建設に役立ててほしいと記していた。その後、この土地を購入したのが、バルセロナで高級食材を扱う事業を営んでいたジャウマ・フィゲーラスの未亡人、マリア・サゲスであった。彼女は読み書きができなかったため、土地の売買契約書には、グラウ司教からこの土地について聞いていたと考えられるガウディが代理人として署名した。こうした縁から、フィゲーラス夫人のための住宅をガウディが設計することになった。
工事は1900年に始まり、当時の写真を見ると、1902年には住宅部分がおおむね完成し、その後、土地の迂回路や城壁の修復工事も行い、プロジェクトは1909年に完了した。

内部の城壁2

この土地には、さらに古い記憶が眠っていた。
ガウディは設計に取りかかる前、古文書館などでこの土地の歴史を丹念に調べた。その結果、ここが14世紀末から15世紀初頭にかけて、アラゴン王、バレンシア王、そしてバルセロナ伯であったマルティ1世ゆかりの土地であることを知った。その歴史を伝えているのが、敷地の入口付近に残る中世の城壁跡である。ガウディは、この場所に刻まれた「中世の王の館」という記憶を、住宅のデザインの出発点とした。つまり、まったく新しい形をつくるのではなく、その土地がもつ歴史を読み取り、それを新しい建築のなかに織り込もうとしたのである。

破砕タイルで彩られたベンチ

入口では、トレンカディスと呼ばれる破砕タイルで彩られたベンチが来訪者を迎える。ベンチは東から南、そして西へと向かって配置されている。これを、マルティ1世の時代に象徴されるカタルーニャの歴史の「誕生」「栄光」「衰退」の歴史が表現されている。興味深いのは、これがサグラダ・ファミリアの「降誕」「栄光」「受難」という三つのファサードの構想にも通じていることである。
建物の内部に入ると、鮮やかな青いタイルが目に飛び込んでくる。どこかアンダルシア地方を思わせる色彩だが、これはガウディの設計当初からあったものではなく、完成後に弟子たちによって加えられた装飾である。ガウディの時代、内部の壁は基本的に白い漆喰で仕上げられていた。

鮮やかな青いタイル

ぜひ、階段は急がず、ゆっくりと上っていただきたい。
吹き抜けとなった階段室の途中に、ひときわ大きなステンドグラスのバラ窓がみられるだろう。花の中央、いわば「めしべ」にあたる部分が星のような形をつくり、そのまま建物の外側へと突き出している。平面的なステンドグラスではなく、建築そのものと一体になった立体的な窓なのである。

大きなステンドグラスのバラ窓

ガウディは生涯に数多くのステンドグラスを設計したが、これほど立体的な構成をもつものは極めて珍しい。近年の研究では、12月25日の太陽光がこの窓を通り、階段室の白い壁の中央付近へ差し込むよう計画されているとも指摘されている。
この階段室を中心として、居間や食堂などの部屋がつながっている。

ベリェスグアルドの住宅の部屋

現在、それらの部屋は家具もなく、空っぽの状態だが、ぜひ天井を見上げてほしい。
居間の天井には、細いレンガを用いた葉状のアーチが連続している。一方、食堂では、ねじられた鉄の部材がドーム状の天井を支えている。部屋ごとに異なる材料と構造が試されており、まるでガウディが住宅全体を実験室として使っていたかのようだ。
その実験性が最も強く感じられるのが、屋根裏である。

ベリェスグアルドの住宅 天井のアーチ1
ベリェスグアルドの住宅 天井のアーチ2

ここには驚くほど多様なアーチが並んでいる。一見しただけでは、「なぜこの形になっているのだろう」と首をかしげたくなるものも少なくない。構造的な合理性だけでは、簡単に説明できない形がいくつも存在するのである。
こんな逸話も残されている。
ガウディのアトリエには、構造を得意とし、多くのプロジェクトを支えたジュアン・ルビオ・イ・ベルベールという建築家がいた。彼は数々のガウディ作品に関わった人物だが、ベリェスグアルドの設計には参加していなかった。その彼が完成後、この屋根裏を見て、「これは私の理解を超えている」と語ったと伝えられている。それほどに、ガウディはこの屋根裏でもアーチの実験を試みていたのだ。
そして最後に屋上へ出ると、それまで閉ざされていた視界が一気に開け、バルセロナの街を一望する景色が広がる。

バルセロナの街を一望する景色

「ベリェスグアルドという名前は、カタルーニャ語で「美しい眺め」を意味する。この呼び名は、マルティ1世の秘書であり詩人でもあったベルナット・メッジェが、この場所から広がる景色にちなんで名づけたことに由来するといわれている。
ちなみに「Torre」という言葉には「塔」という意味もあるが、ここでいう「Torre」は、かならずしも塔そのものを意味するわけではない。カタルーニャでは、広い土地に建つ郊外の邸宅を「Torre」と呼ぶことがある。したがって「Torre Bellesguard」は、「美しい眺めをもつ邸宅」と考えるとわかりやすい。
そして、この邸宅には非常に印象的な塔がある。

ベリェスグアルドの住宅の塔

建物の角から空へと伸びる塔の頂部には、カタルーニャを象徴する赤と黄色の螺旋模様が施され、その上に四本の腕をもつ十字架が載せられている。
この独特な十字架の形は、この土地に落ちている松ぼっくりをもとにしたのではないか、という説もある。実際に庭を歩き、地面に転がる松ぼっくりを手に取ってみると、その形がガウディの十字架と不思議なほど似ていることに気づくだろう。

土地に落ちている松ぼっくり

最初にこの建築を見たとき、私は「ガウディらしくない」と感じた。しかし、ベリェスグアルドは華やかな色彩や曲線だけが、ガウディではないことを教えてくれる。土地の歴史を調べ、中世の記憶を建築へと昇華し、光や構造、材料、さらには身近な自然の形を取り込みながら形をつくり上げたデザインを知ると、ここにはガウディという建築家の姿勢が凝縮されているように思えてくるのである。

Picture of 山村 健(やまむら たけし)

山村 健(やまむら たけし)

1984年山形県生まれ。2006年早稲田大学理工学部建築学科卒業。06-07年バルセロナ建築大学留学。09年早稲田大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程修了。12年同大学院博士後期課程修了。12~15年ドミニク・ペロー・アルシテクチュール勤務。16年YSLA ArchitectsをNatalia Sanz Lavinaと共同主宰。20年より東京工芸大学准教授。26年よりカタルーニャ工科大学客員研究員。博士(建築学)、一級建築士。